ジョニー・ビエロJohnny Bielloは自分のマフィアとしての経歴を隠すように気を付け、フロリダに行って絨毯事業を始めた。
ディック・カミDick Camiはロングアイランドの素敵な家から通って、ペパーミント・ラウンジの世話をした。
1960年10月、カミはハウスバンドとして相応しいグループを見つけた。北ニュージャージーと西ロングアイランドは音楽のタレントの宝庫で、ニュージャージーのロディのジョイ・ディーとスターライタースJoey Dee and the Starlitersは、予約代理人のドン・デイビスDon Davisがペパーミントでの仕事について話を持ち掛けた時、あるクラブのハウス・クラブとしてちょうど2か月公演を終えたところだった。
たった3日間の契約だったが、とてもよかったのですぐに、週に夜6日間で600ドルを支払う雇用契約を結んだ。
彼らはとても才能が有った。ジョイはシレルスthe Shirellesと一緒に学校に行き、2回のセッションをバック・アップし、このバンドは長年にわたってニュージャージーの最高のタレントを何人か引き付けたが、その中にはボーカリストのデイビッド・ブリガティDavid Brigati、その兄弟でドラマーのエディEddie、オルガニストのフェリックス・キャバリアFelix Cavaliere、ギタリストのジーン・コーッシュGene Cornishが含まれていたが、年が経つにつれてラインアップは変化した。
人気のあるティーンのダンス・クラブでハウス・バンドになるカギは、ヒットに追いついていく能力であり、できればそれを予想することだ。それだからこそチャビー・チェッカーChubby Checker(チャビーには、明らかにレーベル仲間のボビー・ライデルBobby Rydellよりも流行に敏感なA&Rが付いていた)が6月に、「レッツ・ツイスト・アゲインLet’s Twist Again」と叫んだ時に、スターライダースは注目したのだった。
そのころまでには、ステージで踊る女の子を数人獲得していて、元気な18歳のベロニカ・ベネットVeronica Bennett、姉妹のエステルEstelle、そして従妹のネドゥラ・タリーNedra Talleyがリードしていた。
彼女たちが本当にやりたかったことは歌で、既にダーリング・シスターズthe Darling Sistersとしてレコードを制作していたが、何と比べても劣らないほど望んでいたし、それに対する報酬を受け始めてからはなおさらだった。しかしながら、アメリカのすべての若者がツイストをしていたわけではなかった。フォーク・ミュージックに向かった者もいたが、キングストン・トリオthe Kingston Trio(1月に空前となる4枚のゴールド・アルバムを受賞した)、ライムタイターズthe Lime lighters、ハイウェイメンthe Highwaymen(この夏、「漕げよマイケルMichael(Row the Boat Ashore)」のヒットを飛ばした)、チャド・ミッチェル・トリオChad Mitchell Trioが広めたフォークに影響された音楽だけでなく、もっと正統な音楽として認知されたものもあった。
ミネソタではボビー・ジマーマンBobby Zimmermanが高校卒業後すぐにミネアポリスにあるミネソタ大学に向かい、そこで学生のたまり場のディンキータウンで、生まれつつあるフォークのシーンにはまった。
そこで、ボビーはジョン・パンケイクJon Pancakeやポール・ネルソンPaul Nelsonなどの人々に合ったが、ポールは自分が魅力を感じた曲がいっぱい入ったレコードを集め、その中には、フォークウェイズ・レコードFolkways recordsのハリー・スミスHarry Smithが編集した「アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージックAnthology of American Folk Music」や、影響力のあるほかのフォークウェイズのアルバムで、ジョン・コーナーJohn Koernerやトニー・グローバーTony Gloverが勉強すべき音楽素材として使っていた「ザ・カントリー・ブルースThe Country Blues」が含まれていた。
フォーク普及者のオスカー・ブランドOscar Brandの所属していたエレクトラ・レコードElektra Recordsはケンタッキー出身の若い女性と契約したが、その人、ジーン・リッチーJean Ritchieはダルシマーを演奏し育った丘の曲を歌った。
このようなレコードはしばらく販売されていたが、フォークウェイズはもっと考え出し続けた。現代の音楽復活推進者であるニュー・ロスト・シティ・ランブラーズthe New Lost City Ramblersのほかにも、音楽学者ラルフ・リンツラーRalph Rinzlerがノースカロライナでフォークウェイズ・アンソロジーFolkways Anthologyのスターであるクレアランス・アッシュレーClarence Ashleyや自分の友人を特集した「オールドタイム・ミュージック・アット・クレアランス・アッシュレーOld-Time Music at Clarence Ashley’s」を発売した。
アッシュレーを良い状態で(そうなんだ、彼の録音は約30年前にしたっきりなんだ)聞けるだけでなく、若く盲目のギタリストで、信じられないほど流麗でスピーディーな演奏をするアーセル・ドク・ワトソンArthel “Doc” Watsonまで聞けるのは、わくわくする。誰もがギターやバンジョー、あるいは少なくとも、ブルースのハーモニカ演奏者に最適なホナー・マリン・バンド・ハーモニカHohner Marine Band harmonicaを手に入れていた。