しかし、動きがあったのは黒人のチャートで、カントリーはポップと同様に動きがなかった。ハンク・バラードとミッドナイターズHank Ballard and the Midnightersはまだ頑張っていたし、彼らの「フィンガー・ポッピン・タイムFinger Poppin’ Time」はとても楽しいし、ジェームス・ブラウンはファイブ・ロイヤルズ ”5” Royalesの「シンクThink」をリメイクしてヒットに仕上げた。
7月半ばにジェームス・ブラウンJames Brownよりも叫び声の大きいレコードがどこ(そうだなあ、ミシシッピを経由してニューヨーク)からともなく現れ、R&Bのトップ・テンに入った。「ア・フール・イン・ラブA Fool in Love」はアイク・アンド・ティナ・ターナーIke and Tina Turnerによって、取り上げられたが、アイクは最新の妻、ミシシッピ州ナットブッシュ出身の本名アンナ・メイ・ブロクAnna Mae Bullock芸名ティナ・ターナーの世話役も同然で、ティナはアイクがセント・ルイスに引っ越してから登場してきた。
ティナはクラブでキングズ・オブ・リズムthe Kings of Rhythmが演奏していた音楽の大ファンになり、彼らと一緒に歌い始め、しまいには彼らのレコードの一つの中でバック(「リトル・アンLittle Ann」のように)を歌った。
アイクがバンドを再構成し、ブラック・レーベルのオーナーであるジャギー・マリーJuggy Murrayのスー・レーベルSue labelと契約した時、アイクはブルースを捨て、新妻を中心とした新たなサウンドをとった。
「ア・フール・イン・ラブA Fool in Love」で、ティナは気取って歩き、叫び、唸り、この世のものとは思えない音を作り出したのだが、バックの3人の女性シンガーであるアイケッツthe Ikettesが思い出させてくれたことは、ティナは愚かで、苦悩か恍惚かは分からないが、泣きわめき悲鳴を上げることがただ好きだということだった。
結果的にポップチャート受け入れられ20位台半ばに入って、このレコードとブライアン・ハイランドBryan Hylandのコンセプトがアメリカの放送電波で空間を共有したことは、始まったばかりの革命を十分に暗示するものだった。
踊るダンスのない夏休みはさみしいが、フィラデルフィアでは、他の演奏者の物まねで有名なティーネージャーのアーネスト・ジェンキンスErnest Jenkinsには、「トゥートゥthe Toot」というダンスがあった。ジェンキンスは名前をチャビー・チェッカーChubby Checkerに代えたのだが、その理由はファッツ・ドミノに似ているとプロデューサーが思ったことと、彼はすでに「ザ・クラスThe Class」でマイナー・ヒットを出していて、その中で彼はファッツからチップマンクスまで真似したのだが、まだ生活できていないからだ。
トゥートゥをどう踊るのかは誰も知らないが、チャビーのプロデューサーは昨年のハンク・バラードHank BallardのB面からひらめいた。黒人の子供たちはまだツイストをしているだろうか?しているかな?あれを再録しよう!もちろん著作権の要求はキング・レコードKing recordsの届き、誰かがピンときて、バラードのバージョンを再リリースし、レースは始まった。7月後半、ビルボード誌の広告には、チェッカーのレコードは「すでに20万枚」と書いてあった。
キングも頑張った。翌週、チャビーはポップ・チャート49位になり、バラードはすぐ後を追って53位になった。翌週チャビーは11位だが、バラードは95位だった。バラードは回復して61位になったが、チャビーは8位になり流れはチャビーの方に向かったようだった。しかしここで競馬展開以上のことが起き、思わぬ展開となった。チャビー・チェッカーがエルビスをトップの座から追い出し、彼のフィラデルフィアの仲間のフェビアンFabianが「キッスン・アンド・ツイスティンKissin’ and Twistin’」という曲をリリースしたのだ。
サントとジョニーSanto and Johnnyは別のインストゥルメンタル「トゥイスティン・ベルズTwistin’ Bells」を出し、ダニー・アンド・ジュニアーズDanny and the Juniorsが「ツイスティンUSATwistin’ U.S.A.」で応じ、ブルース・コーフィールドBruce Coefield「チャ・チャ・ツイストCha Cha Twist」のフュージョンを試した。しかし、まだ始まってはいなかった。