しかしながら、それで終わったわけではなく10月30日、第8巡回控訴裁判所は次のように指摘した。「私たちの懸念は、予審判事の態度、行為、発言であり」こう付け加えた。「陪審員の前で予審判事は、人種を考慮に入れることが有罪か無罪かの問題に影響を与える意味を引き出すような、被告人の人種を反映した発言をし、裁判を不公平なものにした。」しかし、ベリーに不利な証拠があるので、無罪放免にするのではなく、新たに裁判を開くと決定した。
ペイオーラPayolaやらチャック・ベリーChuck Berryの不幸な出来事やらで、ロックンロールの評判が悪い中、フィラデルフィアにレーベルのある、若いアーティストたちが演奏するノベルティ・レコードや『良い音楽』は、多くのティーネージャーにとって、音楽の源泉になっていた。ブライアン・ハイランドBryan Hylandという何者かが「ビキニスタイルのお嬢さんItsy-Bitsy, Teenie-Weenie Yelow Polka Dot Bikini」の話をリリースし、何度も何度もレコードをかけられた。
レイ・ピーターソンRay Petersonは最新の死の歌で、燃え盛るレース・カー事故の中で死にゆく少年が歌う「テル・ローラ・アイ・ラブ・ハーTell Laura I Love Her」を演奏した。
この曲が8月にイングランドでリリースされると禁止になった。しかし、すべてのティーンのポップ・シンガーたちがひどい目に遭っていたわけではない。エバリー・ブラザースthe Every Brothersはヒットを連発していたし、エイカフローズAcuff-Rose出版との取引を用いてサン・レコードSun Recordsからおびき寄せた男は、出版社の新レーベルのモニュメントMonument Recordsから彼の最初の曲を発売した。
「オンリー・ザ・ロンリーOnly the Lonely」はロイ・オービソンRoy Orbisonであると識別でき、「ウービー・ドゥービーOoby Dooby」を歌った男と同じなのだが、感情面ではなんと違っていることか!新しい愛を通して贖罪を切に願う、寂しく混乱したティーネージャーの登場人物を映し出して、オービソンは間奏で声域の高さを極め、エネルギッシュな素晴らしいオーケストラとともに戻って、最後にはコーラスを離れて高温で終わる。
アメリカ (そして後にイングランド) 中のティーネージャーたちが曲の中でショックを受けたと認識し、オービソンとプロデューサーたちは良いところに気づいたということが分かった。ここでモニュメント会長のフレッド・フォスターFred Fosterは、彼の外見について何かできるかを熟考した。
オービソンはほとんど目が見えず、彼の寄り目は不快感を与えた。彼の最初のアルバムのロンリー・アンド・ブルーLonely and Blueのカバーで、彼はドライブイン・バーガー店で一人車に乗っていた。テレビで彼をそんな風に見せるのは難しかっただろう。そこでフォスターはひらめいた。「彼にサングラスをかけさせる。」スターが誕生した。(というよりも、どちらかと言えば何の気なしに、ある晩オービソンは普通の眼鏡を飛行機に置き忘れ、ステージに登る準備をしていた時に度付きサングラスしかもっていなかったので、代わりにそれをかけ、フォスターがそれを続けるように主張したのだ。)
今から振り返れば言えることだが、他にもスターはいた。ビルボード誌の半ページ広告がそのうちの一つを宣伝したのだが、そのスターは演奏者ではなかった。その宣伝にはこう書いてある。「中西部に誕生した新レーベルは、この産業のリーダーの一つになるべく運命づけられている。タムラ・レコードTAMLA recordsの社長は若く精力的で、現代音楽業界の天才だ。」
タムラの「社長」ベリー・ゴーディBerry Gordyはにっこり笑った写真に写り、宣伝には、このレーベルの主力グループの最新のリリースである、ミラクルズthe Miraclesの「ウェイ・オーバー・ゼアWay Over There」が載っていた。
ゴーディは、以前のシングル「バッド・ガールBad Girlを、彼が名付けたレーベルからリリースしたが、これももっと大きな会社のチェスChess recordsに、数週間で引き渡さなければならなかったのだが、その理由は、とても良く売れたためにヒットに対応できる資源を持ち合わせていなかったからだ。
今度は準備ができていて「ウェイ・オーバー・ゼアWay Over There」はゴスペルの味付けがされた力作で、ミラクルズがアイズレー・ブラザースthe Isley Brothersと一緒に演奏する日までにひらめいた曲だった。
しかし、若く精力的な天才は間違いを犯した。飾り気のないバックが気に入らなくて、そのテープをユナイテッド・サウンドUnited Sound Systems Recording Studiosに持ち込み、弦楽器をダビングして、オリジナルのレコードを引っ込め、新バージョンを発売したのだ。その二つは同じシリアル・ナンバーで、だれもが混乱した。
このことでレコードの勢いはそがれ、明らかにゴーディは教訓を学んだ。(また。ビルボード誌がゴーディの次の2曲のリリースを報じた時、「タムラ」で載せたのだ。もう一つの教訓は、宣伝の請求書は期日どおりに支払うということだ。)