ロックンロールの歴史 1959年 13

12月1日、チャック・ベリーChuck Berryと彼のバンドは、その晩エル・パソのショーで演奏する前にメキシコ州フアレスで午後を過ごしていた。

Chuck Berry: His Life in Photos | Chuck berry, Rock and roll, Rhythm and bluesThe Trial of Chuck Berry. A fourteen year old Apache girl… | by J.P. Robinson | Medium

彼らはサボイthe Saboyというバーに入りベンチということしか覚えていない男と遭ったが、彼らが街を見たがっていることを聞いて、ジャニス・エスカランティJanice Escalantiという若い女性を紹介した。ジャニスは地理に明るい点では問題なかったが、公衆の面前で酩酊したためにエル・パソの刑務所から出てきたばかりで、浮浪罪、売春に次いでこれが3度目の逮捕だった。

CHUCK BERRY at the FILLMORE EAST 1969 / davidedwardbyrdposters

The Trial of Chuck Berry. A fourteen year old Apache girl… | by J.P. Robinson | Medium

その時、飲酒以外にジャニスが避けていたのは学校で、彼女は14歳だった。しかしジャニスはこのグループと意気投合し、午後の終わりに彼らがエル・パソに戻ってくると、ショーを見たいのだけれど一文無しだとチャックに打ち明けた。そうだな、仕方ない。アーティストはショーの後にサイン入りの写真を売ることがよくあるので、その仕事と儲けの分け前をジャニスに提案した。それからチャックはジャニスを別のバーまで車に乗せて行き、そこで彼らはジャニスの友達が現れ、着替えのために彼女のアパートに入れるのを待った。チャックはジャニスに、何歳かをすぐに聞き、もちろんジャニスは21歳だと答え、チャックは仕事が何かと聞いた。彼女のフリーの売春婦でやめたいと認めた。ベリーはよく考えてから、クラブ・バンドスタンドClub Band standで、携帯品預かり係として雇いたいとジャニスに言った。

*Chuck Berry performs at Club Bandstand formerly Latin Quarter -

ジャニスにとっては、エル・パソよりずっと良いし、知っている世界だ。生活を一新できる。ジャニスは喜んで承諾して、残りのツアーをバンドに加わり、セント・ルイスで終了したが、そこでチャックはジャニスを、コツを教えてくれることになるフランシネ・ギリアムFrancine Gilliamに紹介した。

すぐにフランシネはソーシャル・セキィリティー・カードと出生証明書を求め、ジャニスはどちらも持っていなかったが、13才には見えなかったので、フランシネも騙されてしまった。それでもジャニスの仕事ぶりには問題が多く、携帯品預かり場を空にして、うろうろ歩いては常連客に話しかけていた。フランシネは、ジャニスを今度はドアのところにいさせたが、またしても彼女はうろついて金庫をほったらかしにした。12月17日、チャックは我慢できなくなって、ジャニスのいる家に行き、クビだということと、荷物をまとめてエル・パソに帰るる支度をすることを言い渡した。バス停でチャックは片道切符といくらかのお金をあげて去った。バスが出発する前に、ジャニスはバーに連れて行ってくれるような男に声をかけ、間もなくクラブ・バンドスタンドに戻ってうろうろし、お客に話しかけていた。ベリーは、ジャニスを見ると、かんかんに怒り、ホテルに連れて行って酔いをさまさせた。翌日、ベリーは、切符とお金を渡し、バスに乗るまで見届けざるを得ないとジャニスに言った。彼女はこれに納得せず、腹を決めてベリーに電話したが、フランシネが繋いでくれなかった。それから彼女は次に何をすべきかを考えながら、売春を始めた。ジャニスはエル・パソや昔の生活には帰りたくなかったし、ハイスクールにも戻りたくなかった。アリゾナ州・ユマにいるときに何らかの理由で警察に電話し、警察はその電話のわけが分からなかったが、そのままそこにいてセント・ルイス警察を待つように促した。すぐ後に警察が現れ、彼女を逮捕尋問し、刑事二人が彼女をクラブ・バンドスタンドに連れて行った。そこで12月22日未明、チャック・ベリーを、最後の出演を終え舞台を離れた後、マン法違反で逮捕した。これは、連邦犯罪の売春を目的とする未成年者の州間移動を規制する法律である。

連邦犯罪と言えば、もし誰かが、その法律を文章化する方法を考えつけば、全く新しい法律が考案されつつあったのだが、それはペイオーラpayolaだ。

The Payola scandal heats up - Feb 11, 1960 - HISTORY.com | RallyPoint

11月に、連邦通信委員会会長は不用意に、ペイオーラをしているラジオ放送局は、放送免許をはく奪される危険があるかもしれないと発言したのだ。この問題は興味深く、ラジオ局を訪問する宣伝マンはDJに何かをしてお礼するのだが、DJ達はアメリカでもっとも不当に低賃金のエンターテイナーでその中には、アラン・フリードAlan Freedやビル・ランドルBill Randleなどのスターも、やはりいたのだ。

ALAN FREED & HIS R&R BAND (アラン・フリード) - Rock'n'Roll Dance Party Vol.1 (The Bill Randle Chronicles - From Electric Elvis to The Shakers

この哀れな男たちの中には、ウィスキーのボトル1本やたぶん10ドルはもちろんのこと、靴下一足をもらっても喜んでいたと、ある宣伝マンは思い出す。チェスがチャック・ベリーの「メイベリンMaybellene」で行ったように、ヒットさせるために、フリードのような人を著作権者として参加させることはあり得るが、それは全く別の問題だ。

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ラジオのペイオーラにますます焦点が当たると、その行きつくところは決まっていて、放送局がかけるごみをティーネージャーが買うことは無く、代わりに「良い音楽」に向かうことだ。これで分かるのは国会議員がどれ程実態を知らないかということで、親であればだれでも、子供たちに、やりたがらないことをさせることは不可能だということを知っているものだ。何日も続けて一枚のレコードをかけることはできるが、子供たちがそれを気に入らなければ、どうしたって買わない。しかし、共産主義撲滅運動は下火になり、社会活動家は何かほかにすることを見つける必要があった。