ロックンロールの歴史 1959年 8

それから数か月、数枚のレコードしか出していないのに、その看板通りになった。タムラ・レコードTamla Recordsの3枚目のリリースはミシシッピ州出身のバレット・ストロングBarrett Strongという男で、姉妹3人と一緒にゴスペル・グループで歌っていて、ジャッキー・ウィルソンJackie Wilsonの友人だった。

Tamla レーベル | リリース | Discogs芽瑠璃堂 > バレット・ストロング 『マネー:ザ・タムラ・イヤーズ 1959-1961』ODR6636

Jackie Wilson - Lonely Teardrops | リリース | Discogs

ある日ウィルソンがやって来て、ストロングがピアノを弾いて歌っているのを聞き、自分の友人がレコード会社を始めたのだが、その友人のために昔ヒット曲を書いた、と話した。そのすぐあと、ウィルソンはゴーディBerry Gordy, Jr.をストロングに引き合わせ、4月にストロングはタムラから、誰かの地下室で録音したシングル盤「レッツ・ロックLet’s Rock」、B面「ドゥ・ザ・ベリー・ベスト・ユー・キャンDo the Very Best You Can」を出した。

Barrett Strong – Let's Rock / Do The Very Best You Can (1959, Vinyl) -  Discogs6. Barrett Strong: “Do The Very Best You Can” | Motown Junkies

これは売れなかったが、ストロングはゴーディの編成力の高さに感銘を受け、地元のラジオ放送局で、自分の新会社はソングライター、ミュージシャン、演奏者を探しているという広告まで打った。「レッツ・ロックLet’s Rock」が発売された月に、タムラは別のローカル・シンガーであるチコ・レバレットChico Leverettの「ソリッド・センダーSolid Sender」をリリースしたが、流通をデトロイトに制限した。

SOLID SENDER / I'LL NEVER LOVE AGAIN (7")/CHICO LEVERETT |SOUL/BLUES/GOSPEL|ディスクユニオン・オンラインショップ|diskunion.net

6月に、ミラクルズ・ロニー・ホワイトMiracles Ronnie Whiteとビル・スモーキー・ロビンソンBill “Smokey “ Robinsonの「ロン・アンド・ビルRon&Bill」によるノベルティ・ソング「イットIt」が出た。

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この曲はゴーディが、チェスの子会社であるアーゴArgoに貸し出したのに、たいしてうまく行かなかった。

Argo Records (UK) - Wikipedia

次に出したのが、チコ・レバレットも所属していたボーカル・グループのサテントーンズthe Satintonesによる「ゴーイング・トゥ・ザ・ホップGoing to the Hop」だった。

The Satintonesの「The Complete Tamla And Motown Singles...Plus!」をApple MusicでThe Satintones - Tomorrow and Always: listen with lyrics | Deezer

B面は「モーター・シティMotor City」で、ゴーディが構想していた新レーベルの名称を考案できた人には誰でも100ドル提供するというのを、レバレットは覚えている。レバレットは、モーター・シティ・レコードMotor City Recordsを提案したが、ゴーディはお金を払わなかった。

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ゴーディはおそらくその名前が嫌いだったのだろうが、100ドル持っていなかったのかもしれない。ゴーディは短期間で大量のレコードをプレスし、それを流通するために支払われたので、誰もが知っているお金は「カム・トゥ・ミーCome to Me」のためのお金だけで、それはおそらく分け前としてユナイテッド・アーティスツUnited Artistsに行ったのだ。

45cat - Marv Johnson - Come To Me / Whisper - Tamla - USA - 101ユナイテッド・アーティスツ - Wikipedia

ゴーディはある日、ヒッツビルにあるピアノのところに座って、放課後に働いていた高校生の受け付け、ジャニー・ブラッドフォードがJanie Bradfordこう言っている。

Money,' Poetry and Philanthropy — Adam White

「ゴーディは、リフを演奏し、私たちは立って描き続け、歌詞を入れ、メロディを手直しして、良いものが出来上がる。」「私たち」には、バレット・ストロングも含まれ、数名の白人高校生徒が、家から出る騒がしい音を聞きつけると、ベースやギターを抱えて、この場に入ってきた。「歩み寄って、セッションに参加できるかと尋ねた。」とストロングは後に思い出す。「二度とその連中を見ることは無かった。誰だったかもわからない。真新しいヒッツビル・スタディオHitsvill studioの中で、その連中はドラムのベニー・ベンジャミンBenny Benjamin、タンバリンはブライアン・ホランドBrian Holland、ピアノはストロングBarrett Strongと座り、演奏が終わってタムラの大ヒット曲が生まれた。

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その連中は、分かっていることを書いて、と言い、ゴーディとブラッドフォード(ゴーディは共同の著作権表示を与えた。)は、その通りにした。「マネーMoney(That’s What I Want)」は8月に、すぐ大ヒットとなり、そんなわけで、全国で成功させるために、ゴーディはこのレコードを姉妹のチェス流通レーベルのアンナAnnaに、1960年初め使用許可を与えた。そして売れに売れ、お金が入ってきた。

Money (That's What I Want) / Oh I Apologize | DiscogsBarrett Strong – Money (That's What I Want) (1960, Vinyl) - Discogs

 

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