1957年12月19日、エルビス・プレスリーElvis Presleyは地方徴兵委員会会長から電話を受けた。
エルビスは数か月前に1-Aに区分されて以来ずっと委員会から話があると予想していて、今その通りになった。メンフィス出身の人間がたくさんいるエルビス・プレスリー特別部隊の業務や、入隊中は米慰問団巡業のエンターテイナーと一緒に働くような、特別待遇を与える提案が軍隊からあったが、エルビスは断った。エルビスは経歴の中で最高に位置し、グレースランドGlace Landを買ったばかりだったが、それは町の南の幹線道路51沿いに18部屋のある豪邸で、尊敬されていた医師で娘がクラシックの演奏家だった人の所有だった。
家屋と土地だけで102,500ドルだったが、サム・フィリップスSam Phillipsの新らしい家の装飾業者を雇って、外の裏に大きなスイミングプールと、音符のついた鋳鉄の門を注文し、それが完成するのに50万ドルかかった。
母親の鶏のための鶏小屋も建てられ、年末までにグレースランドはエルビスのクラブハウスになり、エルビスや友人たちが使えるように完璧に機能するソーダ・ファウンテンも備えた。
壁はエルビスと母親が選んだ新しい色に塗られた。
エルビスは映画製作の無い時はいつもツアーに出ていて、1957年には初めてハワイに行き、常に新しい映画製作が組まれていて、休憩の時にリラックスできる場所があることは良いことだった。
エルビスは市内まで召集令状を取りに行き、サン・レコードに寄ってそれを見せ、それからグレースランドに戻ったが、そこでジョージ・クレインGeorge Kleinは令状を見て、どうするのかを訪ねた。
「そうだね、分からない。」とクラインに言った。「大佐はキング・クレオールKing Creole(エルビスの次の映画)を作るために延期されるかもしれないと言ったが、エルビスは、おそらく行くことになるだろうと言った。」
長年のあいだ表に出なかったそれなりの理由で、大佐はエルビスの成功を何にも邪魔させないという強い考えで、「大佐」というタイトルを買収したのは誰でも知っていたが、トム・パーカーTom Parkerでは全くなかった。
彼はアンドレアス・バン・クイクAndreas van Kuijkというオランダ人で法を逃れ(たぶん、彼の女兄弟がのちに推測したように殺人の起訴のため)、10代で船で密航してアメリカに渡った。
彼はアメリカ市民ではなく、補法に入国していたのでパスポートを持たず、どうしてもアメリカを離れようとせず、政府の目をエルビスと、それに関連して自分自身からそらしたのだ。エルビスの芸歴の期間、申告すれば多額の控除をできるのに、トムは簡略なフォーム1040で納税し(他のマネージャーのマネージメント料は一般に15~20パーセントなのに、ひどく不釣り合いな50パーセントのマネージメント料金をとり、税金を自腹を切って払っていた)、海外に出かける大きなオファーを断っていた。
トム・パーカー大佐は、はったりをかませた興味深いイメージを持っているが、アンドレアス・バン・クイクAndreas van Kuijkは怯えながら暮らしていた。
トム大佐は人々がエルビスのために事態を改善することを知っていた。バン・クイクは人々に指図しなかった。クリスマス・イブの日にエルビスは徴兵委員会に嘆願書を贈ったが、そこにはこうあった。行く準備はちゃんとできているもの、パラマウントは映画製作準備費用として数十万ドルをすでに投入しているので、映画が完成できるように60日間入隊と遅らせてほしい。委員会は待つことに同意した。
しかし、ある訪問者は、エルビスがいつもの陽気なエルビスでないことに気づいた。その訪問者がグレースランドを訪問していた時、ドアベルが鳴ってエルビスは小包に受け取りのサインをし、部屋に戻ると、それを長椅子に放り投げた。やがて、訪問者が、それを開けないのかと尋ねると、エルビスは開けた。「うわー、ゴールド・レコードだ。」とエルビスは言った。
エルビスは表向き機嫌のよい顔をした。軍隊に入るに際して「自慢できる。」といった。「感無量にならなければならない、だから、そうするよ。」しかし最初にやらなければいけないのは映画作りなので、エルビスとメンフィス・マフィアMemphis Mafiaは荷物をまとめてカリフォルニアに行き、そこで、カサブランカCasablancaと幸せの代償Mildred pierceを作ったマイケル・カーティスMichael Curtizのところに行き、キング・クレオールKing Creoleの仕事にとりかかった。
同時に、というかむしろ、撮影現場の周辺で、リーバーとストラーLeiber‐Stollerの曲を、二人の指導の下に、サウンドトラック・アルバムとして録音していた。
RCAはエルビスが入隊している間にリリースできる音源をしこたまため込もうとしたし、エルビスもレコーディング中は二人の作家にスタディオにいてほしいと、迷信のように考えていたので、RCAは最後のセッションを2月1日にスケジューリングした。残念ながら、ジェリー・リーバーはニューヨークにいてひどい肺炎から回復しつつあったものの、医師はジェリーの旅行を認めなかった。
すると大佐はリーバーを脅し始め、リーバーが具合の悪い間に大佐が送った出版契約書にサインしたかどうかを尋ねた。リーバーは、一部は見たが全部ではないと答え、パーカーは残りを開けろと勧めた。一つのページは空白で、大佐のサインとリーバーのサインための空白部分があった。「気にするなよ、そこは後で埋めよう。」とリーバーはアドバイスした。あんまりの仕打ちだ。「私たちは二度と一緒に仕事をすることは無かった。そういうことだったんだ。話し合うこともなかった。」とリーバーはいった。「ハウンド・ドッグ」を書いたリーバー・ストラーは、大佐の権力闘争のせいで、蚊帳の外に置かれた。これは、大佐が金を稼ぐために、エルビスをルーツから引っこ抜くたくさんの事件の、始まりに過ぎなかった。