ロックンロールの歴史 1957年 12

1957年の夏、まだ議論はあったが、ロックンロールは全国的な現象として最初の全盛期を迎えた。その夏には、エルビスElvisの「オール・シュック・アップAll Shook Up」と「テディ・ベア(I Want to Be) Your Teddy Bear」、

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リトル・リチャードLittle Richardの「ジェニ・ジェニJenny Jenny」と古い売春宿お気に入りの「キープ・ア・ノッキンKeep a-Knockin’」、

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エバリー・ブラザースEverly Brothersの「バイ・バイ・ラブBye Bye Love」と「ウェーク・アップ・リトル・スージーWake Up, Little Susie」(2曲ともブライアント夫妻the Bryantsの作曲)、

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クリケットthe Cricketsの「ザットル・ビー・ザ・デイThat’ll Be the Day」、チャック・ベリーの「スクール・デイSchool Day」があった。

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ニューオーリンズがまだ引きつける力を持っていないと考えるといけないので言っておくと、ファッツ・ドミノの「アイム・ウォーキンI’m Walkin’」と「ブルー・マンデーBlue Monday」

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(この曲はインペリアルImperialの不運なニュー・オーリンズのギタリストであるスマイリー・ルイスSmiley Lewisをドミノが採用した)、クレアランス・フログマン・ヘンリーClarence ”Frogman” Henryの「アイ・エイント・ガット・ノー・ホームI Ain’t Got No Home」、

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ヒューイ・ピアノ・スミスとクラウンズHuey “Piano” Smith and the Clownsの「ロッキン・ニューモニア・アンド・ザ・ブギ・ウギ・フルRockin’ Pnewmonia and the Boogie-Woogie Flu」があった。

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ラリー・ウィリアムスLarry Williamsは「ボニー・マロニーBony Moronie」と「ショート・ファット・ファニーShort Fat Fannie」を褒めたたえ、ラバーン・ベイカーLaVern Bakerは「ジム・ダンディJim Dandy」についてわめきたて、ボベッツthe Bobbettesは彼女たちが熱を上げた先生である「ミスター・リーMr.Lee」にハーモニーを付けた。

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とても大事なスロー・ダンス曲としてプラターズthe Plattersは「アイム・ソーリーI’m Sorry」と「マイ・ドリームMy Dream」を提供し、

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リー・アンドリューとハーツLee Andrews and the Heartsは「ロング・ロンリー・ナイツLong Lonely Nights」を語り、チューン・ウィーバーズTune Weaversは「ハッピー・ハッピー・バースデイHappy, Happy Birthday, Baby」を願い、

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ファイブ・サテンズthe Five Satinesは「トゥ・ディ・アイルTo the Aisle」へ近づくステップのことを話した。

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ティーンがスロー・ダンスやストロールを踊らないときには、デル・バイキングスthe Del-Vikingsは「クール・シェイクCool Shake」を、アンドレ・ウィリアムスAndre Williamsは「ベーコン・ファットBacon Fat」を勧めた。

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実際には、ベーコン・ファットはたぶん悪ふざけなのだが、何故なら、人によってやり方はばらばらだし、こっそり口伝えでヒットした「ジェル・ベイトJail Bait」を見ればわかるように、ウィリアムスは何事にも真剣でないと認めている。

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1957年はリーバーLeiberとストラーStollerにとって素晴らしい年で、アトランティックAtlanticは二人をA&R(役者注:レコード会社で、新しい音楽家の発掘、プロデューサーの選択、スタジオの手配などを行うとともに、選曲・販売戦略などの手助けを行う職種)とプロダクションとして契約し、これによりコースターズthe Coastersを結成し、ニューヨークに移ることができた。

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難しいことは抜きにして、ティーネージャーに関して書かれたコミック・ソングに特化したグループは、うまく行くに決まっていて、「サーチンSerchin’」と「ヤング・ブラッドYoung Blood」は連続ヒットになり、何年も色あせなかったが、どの曲も活動的なこの二人組が書いたのだった。

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それだけでなく、引っ越しのすぐあとに、ジェリー・リーバ―Jerry Leiberとマイク・ストラ―Mike Stollerは、トム・パーカー大佐Colonel Tom Parkerから、エルビスの次の映画ジェイルハウス・ロックJailhouse Rock(ラブ・ミー・テンダーLove Me Tenderとラビング・ユーLoving Youに続く第3弾)のための曲を提供するように依頼された。

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