ロックンロールの歴史 1957年 10

オープニングのクレジットでは、自分たちの実際の家を見せたが、それはハリウッド大通りの西の端から遠くないところにあり、自分たちの力で成功を勝ち取った。ところが1956年にリッキーが16歳になると、頼みごとができた。リッキーRicky Nelsonはロックンロールが好きで、自分がロックンロールのレコードを作るように、父親にせがんだのだ。

Issued by Tip Top Bakeries | Ricky Nelson, No. 4, bakery card from the  Television and Radio Stars series (D77), issued by Mother's Cookies | The  Metropolitan Museum of Art

もしリッキーが番組でそれを演奏すれば、それは良いアイデアだとオジーOgie Nelsonは考え賛成し、音楽界からそれができるような弦楽器奏者を何人か引っ張ってきた。

Com 105 project By Johanna Z.

ジャズ・レーベルのバーブVerveと一回限りの契約をして、そのバンドは、ジャズギタリストでバーブのアーティスト・アンド・レパートリーだったバーニー・ケッセルBarney Kesselを中心として構成されたものだった。

VERVE - ジャズ | JAZZAmazon | Barney Kessel & Friends | Kessel, Barney | ビバップ | 音楽

彼らはA面にファッツ・ドミノFats Dominoの最近のヒット「アイム・ウォーキングI’m Walking」、B面は「十代のロマンスA Teenager’s Romance」に決め、発売した。

Fats Domino - I'm Walkin' / I'm In The Mood For Love (1957, Vinyl) | DiscogsRicky Nelson - I'm Walkin': lyrics and songs | Deezer

Ricky Nelson - I'm Walking / A Teenager's Romance (1957, Vinyl) | DiscogsA Teenager's Romance (Singles 1958) - Compilation by Ricky Nelson | Spotify

もちろん、オジーは番組でリッキーが演奏するシーンを急いで作り上げると、レコードは翌日には急に売れ出し、地域のマーケットでは1位、全国では10位になるという両面ヒットになった。ルー・チャッドLew Chuddは自分のところのアーティストの一人が騒いでいることに気がついて、リッキーが自分と契約をするかどうか聞き、すぐにリッキーはインペリアルImperialと契約して、インペリアル初のティーン・スターになった。

Marv Goldberg's R&B Notebooks - FATS DOMINOLew Chudd - Alchetron, The Free Social Encyclopedia

番組のためにリッキーはインペリアル・レコードで使ったのと同じバンドを使ったのだが、そこにはリッキーより1歳若いジェームス・バートンJamed Burtonがいて、彼はデール・ホーキンスDale Hawkinsという男と一緒に演奏し、ホーキンスのためにビッグ・ヒットの「スージー・キューSusie Q」用の非常に魅力的なギター・リフを作り出し、リッキーの2枚目のレコード「ビー・バップ・ベイビー Be-Bop Baby」とほぼ同じ時期にラジオでヒットしていた。

Amazon | Early Years 1957-69 | James Burton | カントリー | 音楽Dale Hawkins - Oh! Suzy-Q (1958, Vinyl) | Discogs

ティーネージャーたちは、リッキーが番組の終わりにバンドと一緒に曲を演奏するかもしれない(ますますそうなりそうな)ので、「陽気なネルソンThe Adventures of Ozzie and Harriet」にチャンネルを合わせた。

The Adventures of Ozzie & Harriet 1x02 "The Poet" - Trakt.tv

しかしこの番組はたった一人の演奏者、一番組、一週間に一度だ。ABCテレビABC-TVの夏の視聴率不振への対策は演奏者をもっと加えることで、それはカリスマ的ラジオ・スターが司会を務めるアラン・フリード・テレビ・ショーAlan Freed TV showだった。

May 4, 1957...America's First Prime Time Rock n Roll Show Debuts - Eyes Of  A Generation...Television's Living History

これは大成功し、8月、フィラデルフィアにある傘下の会社WFILから選んで全国番組として毎日放送した。アメリカン・バンドスタンドAmerican Bandstandと名付けられ、その司会はティーネージャーのように見えるが、実はそうでない(当時27歳だった)ディック・クラークDick Clarkだった。

Amazon | American Bandstand: Dick Clark and the Making of a Rock 'n' Roll  Empire | Jackson, John | Rock

クラークは本当にティーネージャーの時からラジオに出演していて、それがある面番組の売りだったが、毎日3:00~4:30というひどい時間帯に放送されていた。レコードをかけ、それに合わせて選ばれた子供の集団が踊るというのがいつものやり方だった。

Amazon | Dick Clark's American Bandstand | Clark, Dick | PopularDick Clark, 'Bandstand' put Philly on cultural map (timeline) | News |  pottsmerc.com

毎日一人か二人の演奏者が登場して最新のヒット曲を口パクで歌い、インタビュー形式で踊り手とやり取りをする(もちろん、通っている高校のことを話してもらう)。そしてジュークボックス審査員の子供たちが新発売の曲に点数をつけ、「そのビートがいいから、それに合わせて踊れる。9点をあげよう。」というお決まりの言葉を生み出した。クラークは毎週トップテンをカウントダウンし、番組のほか部分と同じように全国版だと言っていたが、ABCが全国で放送し始めたので、本当に全国版になった。

AMERICAN BANDSTAND 1957 DVD Christmas Episode Rock & Doo WopAmerican Bandstand”1956-2007 | The Pop History Dig

1957年夏のアメリカン・バンドスタンドの重要性については、いくら評価してもし過ぎることは無い。レコード産業にとって、自分たちの制作物が初めて全国に露出したのであって、バンドスタンドでレコードがかかることは、地域で報じられることを待つのではなく、即座に全国にヒットするのも同然なのだ。一方で、子供たちにとっては、バンドスタンドはティーンの天国への窓なのだ。ここではティーネージャーがティーネージのファンションを着て、ほとんどのティーンが見たことのないダンスを踊り(最初に踊ったのは、物静かなライン・ダンスであるストロールで、これは例えばチャック・ウィリスChuck Willisでヒットしている「シー・シー・ライダーC.C.Rider」に合わせて踊れるものだ)、クラークが子供たちの生活や学業についてインタビューしたときに話す考えを取り扱っていた。

Amazon | C.C. Rider | Willis, Chuck | R&B | 音楽American Bandstand (1952)

この番組は演奏者からスターを生み出しただけでなく、毎日出演しなかったかもしれないレギュラーからもスターが誕生した(フィラデルフィアの高校にはしばしば適役を探す呼びかけがあった)が、たくさんのファンレターも良く舞い込んだ。事実として、見た目ほどはのどかではなく(あるいはのどかだったか?レギュラーから直接得られた報告によると、演奏中にイチャイチャしたり、クロークでセックスしたり、建物の屋上でマリファナを吸っていた。)、ディック・クラークはせっせと小さな芸能帝国を築き上げ、いくつかの音楽出版会社、レコードプレス工場や配給会社への投資、フィラデルフィアにたくさんあるレコード会社の中で数社に関係していた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です