想像力のある、スティールTommy Steeleのチームなら、ロックンロールのことを知らなくても許されただろう。
しかし実際には、RCAがエルビスのレコードをリリースし始め、キャピトルCapitolを買収したEMIがどういうわけか、疑うことを知らない国イギリス(「馬鹿の一つ覚え」:ニュー・ミュージカル・エクスプレスNew Musical Express)でビー・バッパ・ルーラBe-Bop-A-Lulaを発売するまで、信用すべき唯一のものはビル・ヘイリーが出したものだけで、マンボ・ロックが証拠だが、スティールは状況が呑み込めなかった。
しかし、ヘイリーがした最悪のことは、ロック・アラウンド・ザ・クロックRock Around the Clockというやっつけ仕事の契約をしたことで、急いでかき集められたのは、アラン・フリードAlan Freed、プラターズthe Platters、アーニー・フリーマン・コンボthe Ernie Freeman Combo、トニー・マルティネス・アンド・ヒズ・バンドTony Martinez and His Band、そして、ラス・ベガスのラウンジ・バーのロックの出し物のフレディー・ベルとベルボーイズFreddie Bell and the Bellboysで、彼らは実力以上の映画収入を得た。
このひどい映画がイギリスに来るとティーネージャ―がヘイリーを見るようになったが、ヘイリーは肥満形で、おでこの真ん中におかしな細いカールをして何曲も演奏した。アメリカでは、この映画はヘイリーの終わりの始まりだったが、イギリスの若者は当惑していた。ファッツ・ドミノFats Dominoのブルーベリー・ヒルBlueberry Hillが発売された(「『ブルー・ベリー』のような楽しい曲がファッツ・ドミノの声のような兵器によって虐殺されてしまうことは、大いに残念なことに思われる」:再び、ニュー・ミュージカル・エクスプレスの記事)が、本当に侮辱的だったのは、「恋は曲者Why Do Fools Fall in Love」だった。
フランキー・ライモンとティーネージャーズはこの曲に関し、自分だちが若い黒人であるためにイギリスのマスコミからひどいことを言われ、そしてともかく、(白人でイギリス人の)スターゲイザーズthe Stargazersというプロの歌うグループがBBCテレビ番組で演奏した時、音楽を知っている者なら、音楽で何かかなりちゃんとしたことをできるということが分かったのだ。
リトル・リチャードLittle Richardについては、どういうわけかイギリスのレコード会社がトゥッティ・フルッティTutti Fruttiを採用したのだが、彼の歌を聞くチャンスは無かった。ある新聞は、彼のことを「アニメのグロテスクな人」と例えたのだ。
バイパーズthe VipersはパーロフォンParlophoneと契約したが、それは、スキッフルで、プロデューサーのジョージ・マーティンGeorge Martinが最初のシングル、アーンチュー・グラッドAren’t You Glad、B面はピック・ア・ベイル・オブ・コットンPick a Bale of Cottonだった。ノベルティものだった。
ティーネージャ―は、こうしてどんなものかが分かった。アメリカでは誰も心配することは無く、イギリスではロックンロールを金目当てで競うことは無かった。