イギリスで、ロックンロールは必ずしも新しいものではなかった。なぜなら、ビル・ヘイリーBill HaleyのレコードをBBCはかけさせなかったが、デッカはイギリスが所有するレコード会社なのだから、手に入れることはできた。
それらのレコードは、暴力教室が1955年10月17日に封切りされるまでは、隠れた名作だった。その封切りによって、アメリカ同様、ロック、・アラウンド・ザ・クロックRock Around the Clockの売上が復活しただけでなく、ティーネージャ―達がぶらつく言い訳を作った。
20年後に思いもかけず有名になった、乱暴者の若いロンドン子のイアン・デュリーIan Duryは、「集まるチャンスをみんなにくれたのは、映画だった。コンサートが催される前、日曜の午後には大きなスクリーンの前で、冗談を言ったり、歌を歌ったり、映画のネタばらしをして、よくダラダラして過ごした。」
理由なき反抗で、新しい観客になった。こうなると、ロックンロールが多少あれば良いのだが。トミー・ヒックスTommy Hicksはやる気があった。彼は学校を中退し大西洋定期便の船乗りで、アメリカでロックンロールを聞いたことがあった。スキッフルに出会い、誰も知らないミュージシャンに、ブルー・スエード・シューズBlue Suede Shoesなどの曲の伴奏を付けさせた。それは大した話ではないが、ある晩2I’sで、ヒックスが短い演奏をしていると、ハリウッドで働く芸能会の写真家で特にマリリン・モンローMarilyn Monroeを撮った、ジョン・ケネディJohn Kennedyというニュージーランド人が店にやって来て立ちすくんだ。
ケネディが「君をあっという間にスターにできる」とデュリーに言うと、デュリーは「芸能界の何を知っているんだ?」と返した。ケネディはあまり知らないことを認めなければならず、歌について知っていることをヒックスに尋ねた。「何も」とヒックスは認めて。そこで二人は協力した。最初はトミーの名前を変えることだ、というのはヒックスじゃスターらしくない。しかし、スティールSteeleはおじいさんの名前だし、スティール(鉄)なら強固で輝いているので、それを選んだ。
(間もなく、トミーは最初のレコードを作った時、デッカが名前をSteeleと印刷したのを見て驚愕した。デッカは、eを付け加えたのだが、アメリカの系列レコード会社は、そのeをバディ・ホリーBuddy Holleyの名前に付けたのだった。)
次に、ケネディは宣伝になる記事で、世間が驚くことをやってのけたのだが、それは、1956年9月16日、最も良く売れているタブロイド新聞のザ・ピープルThe Peopleに、トミーが演奏して、大勢の女の子を熱狂させている写真だった。ロックンロールはダンスパーティーにデビューする女の子を惹きつけた、と見出しには書いてあったのだが、モデルを雇い、リポーターから聞かれたら、「パトリシア・スコット・ブランPatricia Scott-Brown」や「バレリー・ソーントン・スミスValerie Thornton-Smith」のように上品な名前で答えろと言ってあった、とケネディは後に打ち明けた。この写真は、たぶんイギリスの「最初の上流社会のロックンロール・パーティ」で、夜のスターが「うわー、みんなが揺さぶるから動けない」と言って、パーティーの終わりには椅子に崩れ落ちた。派手な宣伝を続けるためにケネディにはお金が必要で、ラリー・パーンズLarry Parnesに近づいたが、パーンズは金を使って芸能界に入り込もうとして、1年前ドタバタ劇に投資していた。
新聞記事がもとでスティールと3週間の契約をした、準高級のナイトクラブであるストーク・クラブStork Clubにパーンズが入って来て、スティールが「こんにちわ、旦那。あなたは私の新しいマネージャーになるということは分かってる。」と言った。
スティールのマネージャーはもう3人になったが、それは、彼をケネディに紹介した二人と、今度はパーンズだ。2、3週間後、スティールは電荷のオーディションを受けた(場所はトイレだった。なぜなら、デッカが使用されているスタディオを間違って予約したからだ)、スティール、マイク・プラットMike Prattという名前のバイパーズ・メンバーthe Vipers、バイパーズなども入っているちょっとした集まりにたむろしている若い学生のライオネル・バートLionel Bartが作ったロック・ウィズ・ザ・ケイブマンRock with the Cavemanを録音する準備をした。
もう一面は、スティールが一人で作ったロック・アラウンド・ザ・タウンRock Around the Townだ。
この曲は、ロックンロールを聞いたことがない人が作りそうなロックンロールのレコードのように思えるが、当たらずとも遠からずだ。レコードは10月12日にリリースされ、メロディー・メーカーMelody Makerは、(しょせんジャズじゃないと)相手にしなかったが、若く元気の良いニュー・ミュージカル・エキスプレスNew Musical Expressは、「トミー・スティールによる、デッカのイギリス版ロックンロールのレコードは、欠くことのできない本物の味わいが無い。
このレコードで一番いいのは、ロニー・スコットRonnie Scottのぐいぐい人を引きつけるテナーサックス演奏だ」と言った。
この音楽雑誌は、スコットが最初にテレビに登場した姿も嫌いで、「トミー・スティールTommy Steeleは、ぼさぼさの上で現れて人気が出ると期待しているのか?」とも言った。ぼさぼさの髪だって!現代の若者なら気にするかもしれない。しかし20歳のトミーはエネルギッシュで、演奏中ドンドン飛び回り、特に、不快感を与えなかった