間もなくスキッフル・クラブが他に二つできた。一つは、まだロンドンのチャイナタウンになる前のリチャードソンズ・ジェランド・ストリートのリハーサル・ルームズRichardson’s Rehearsal Roomsにあり、44スキッフル・クラブthe 44Skiffle Clubと呼ばれていて、総合大学学部で原子物理学を教えていて、共産主義者でもあったジョン・ヘイスティッドJohn Hastedが運営していた。ここでも、クラブ付きのバンドはあまり固定されておらず、シンガーにはシャーリー・コリンズShirley Collinsとマーガレット・バリーMargaret Barryもいたようだ。
それからもう一つのグラフは、地下鉄ホルボーン・キングズウェイ駅近くの高級なビクトリア風パブのプリンセス・ルイーズthe Princess Louiseにあり、ラッセル・クェイRussell Quayeとガールフレンドのヒルダ・シムズHylda Simsが運営し、彼女はバンジョーとギターを担当していた。
クェイは自分のクラブのハウスバンドのシティ・ランブラーズCity Ramblersというグループを持っていて、飛び入り参加するお決まりのメンバーがいたが、それにはシリル・デイビスCyril Davies、ジャック・エリオットJack Elliott、グラスゴー出身で元気たっぷりの女性、ナンシー・ウィスキーNancy Whiskeyもいた。
彼女の本名はアン・ウィルソンAnne Wilsonで、舞台での名前はスコットランドのフォーク・ソングから取った。クェイ、シムズ、ジャック・エリオット、その妻ジュンが全員、夏の終わりにヨーロッパにチャンスは無いかと出かけた後、シティ・ラムブラーズthe City Ramblersのジョニー・ピルグリムJohnny Pilgrimは何もすることなく取り残された。
彼はアルバイトをしていると、その後すぐにザ100クラブthe 100Clubで、ある晩、ウォリー・ホワイトンという男に会い、そのスキッフル・グループのバイパーズVipersに参加することに興味があるかを聞かれた。
「僕らの本拠地は、オールド・コンプトン・ストリートの軽食堂2I’sで、この店は毎晩満員だ」これこそ、イギリス・ロックンロール発祥の地だ。
2I’sはロンドン最初のエスプレッソ・バーではなかったが、彼らは定期的に登場した。ロンドンの自由奔放に生きる多くの人たちはパブの雰囲気が好きでなかったので、遅くまで開店していて、うろつくあらゆる変人のいる、ジャイルGyreやギンベルGimbel(常連には「ザ・ジーthe G 」として知られている)か、ニュークリアスthe Nucleus(もちろん「ザ・ニュークthe Nuke」)等の店にたむろするのが好きだった。いつも誰でも弾けるギターがあり、たまに、一緒に演奏できるように、一人のギタリストが別のギタリストに教えることもある。この2軒の成功(「成功」は相対的な言葉だ)は広がって行ったが、ちょっと世間体を気にして、一軒は「フォークソングは良いが、スキッフルは禁止」と中止する看板を出した。それでも、2I’sのマネージャーは看板を喜んで掲げた。バイパーズはストリート・フェアの間、平床式トラックの上で演奏し、演奏したまま偶然入店したが、マネージャーは「すみません、皆さん、でも本当に楽しかった。」と言った。マネージャーは戻ってくれと言ったが、バイパーズは来週いつか来ると言った。そして、これまでのどんな状況の、どんなスキッフル・バンドの本拠地についても言えることだが、バイパーズにも飛び入り参加が始まった。最も積極的だったのが、いつか芸能界で成功すると誓っていた子で、第その道の最初の一歩が、ロックンロールを演奏する最初のイギリス人となることだと決めていた。彼の名はトミー・ヒックスTommy Hicks。