サム・フィリップスSam Phillipsもエルビスとの契約金売却で得たお金が豊富にあったので、名曲を数曲売り出した。
カール・パーキンスのボッピン・ザ・ブルースBoppin’ the Bluesとディキシー・フライドDixie Friedはロカビリー色が強く、ソニー・バージェスSonny Burgessのウィー・ウォナ・ブギ―We Wanna Boogie、また、ウォーレン・スミスWarren Smithの人種差別ギリギリの曲、ウバンギ・ストンプUbangi Stompは少なくともロックンロールに関しアフリカ人を称賛している。
テキサス・バイブル大学を卒業したばかりのルイジアナ州出身の若者がレコードを作りたくて、サン・レコードの辺りをうろうろしていたが、ピアノがとても上手だったので、サムSam Phillipsはカントリーのセッションで数回使った後、最終的には根負けしてジェリー・リー・ルイスJerry Lee Lewisの最初のレコードを作らせた。
それは、A面がクレイジー・アームスCrazy Arms(レイ・プライスRay Priceによるテキサス・シャッフルTexas shuffle)、B面はエンド・オブ・ザ・ワールドEnd of the Worldで、12月にリリースしたが全く売れなかった。
12月4日、映画撮影、レコーディング、ツアーから逃れ、待ち望んでいた休みをエルビスが取って、丸一か月メンフィスに戻り、両親にキャデラックCadillacsを2台買い、そして何か起きていないかとサン・レコードSun recordsに立ち寄った。
エルビスが入っていくと、カール・パーキンスCarl Perkinsとジェリー・リー・ルイスJerry Lee Lewisが賛美歌を歌っていて、エルビスもすぐに加わった。
彼らはジョーダネアーズのように上手くなかったが、悪くはなかった。サムは何が起こるかを見ていて、電話をかけ、写真家とジョニー・キャッシュを呼んだ。そして、数年後のミリオン・ダラー・カルテットMillion Dollar Quartetと名付けられたグループが歌い、久しぶりに話をし、昔のような楽しい時間を過ごしたのだが、そのほとんどは、サムの新スタジオ・マネージャーであるジャック・クレメントJack Clementがテープに録ったのだった。
すべての関係者にとって素晴らしい年にふさわしい年末だった。