エディ・コクランEddie Cochranは、トゥエンティ・フライト・ロックTwenty Flight Rockを発売することさえしていなかったが、問題ではなかった。
エディはティーネイジャーの時からハリウッドの辺りをうろついていて、15歳の時からレコーディングをしていたが、最初はハンク・コクランHank Cochranと組んだコクラン・ブラザースCochran Brothersとしてだった。
ハンクはエディとは血がつながっておらず、後にカントリー作曲家として大成功する人だ。エディはカリスマ的演奏者というだけでなく、スタジオの達人で、しばしば録音・多重録音し、自分でバンド全体を作ってしまった。ニック・アダムスNick Adamsは、今やエルビスに同行してエルビスのショーを印象的でコメディのようにしたが、このニックのように、エディはロックンロールを使って、ハリウッドの群れから出て傑出した存在になった若者だった。
ロックンロールは一時的流行だっかもしれないが、その時は紛れもなく成功していた。その証拠の一つが、その夏に、ザ・フライング・ソーサー・パート1と2The Flying Saucer Parts1 and 2を、ブキャナンとグッドマンBuchanan and Goodmanという二人のニューヨーク音楽業界の有名で面白い人間がリリースしたことだ。
二人は、ある日仕事の待ち時間に、レコード制作のアイデアを思い付いたのだが、それは、他のレコードの一部を使って、空飛ぶ円盤の着陸という架空のニュース放送だった。ディッキー・グッドマンDickie Goodmanは、ジョン・キャメロン・キャメロン(スター・ニュースキャスターのジョン・キャメロン・スウェイジJohn Cameron Swayzeを思わせる)の役を演じ、宇宙人の飛行船が地球に着陸したことを伝えた。
もちろん、宇宙船による地球への来訪者の最初の言葉は、ア・ウッ・バッパ・ルー・バッパ・ワッ・バム・ブームA-wop-bop-a-loo-bop-a-wop-bam-boom(訳者注:Tutti Fruttiの歌詞)であり、もちろん、ブキャナンとグッドマンはそのレコードでの使用権許諾を申し込まなかった。最初はおそらくディスクジョッキー向けのジョークとしてなされたのだろうが、ティーネイジャー達はすぐに自分たちのためのレコードを欲しがったので、二人はルニバースLuniverseというレーベルを立ち上げ、レコードを製造した。
著作権を最も懸念して二人を探す弁護士もいたが、二人は公の場に出なかった。ところが突然奇妙なことが起きた。例えば、ドゥーツィー・ウィリアムスDootsie Williamsが、ペンギンズthe Penguines のアース・エンジェルEarth Angelは、何か月も売れていなかったのだが、この曲の中で使われた後、売れ始めたことに言及したのだ。流行していなかった他の曲も同じだった。
結局、パロディー法令の下で、それは公正な使用であると裁判官が判断し、次に、いわゆる無断使用レコードを他にもたくさん作った。しかしながら、それはばかばかしかった(そして100%純粋にばかばかしかった)にもかかわらず、フライング・ソーサーは重要なことを証明した。それは、使われているレコードを良く知らなければ、そして同列に扱うことがおかしいと考えるほど良く知っているのでなければ、誰も反応しないということだ。それは、とりもなおさず、まさに、ロックンロールの大衆に対して言っていることだ。
もちろん、ノベルティ・ソングのレコードは周りにあったし、ロックンロールは、1956年にたくさんノベルティ・ソングを生み出した。ナーバス・ナーバスNervous Norvusはジェイムス・ドレイクJames Drakeで、42歳のトラック運転手、フォー・ジョーカーズthe Four Jokersの一員として、トランスフュージョンTransfusionというかなりばかばかしい曲をリリースした。
その夏、パット・ブーンPat BooneのいるドットDotが、それを拾い上げ、再レコード化した。
全く冗談のようだが、この男は運転をしていて、詩のとおり衝突したので、最後には輸血が必要になり、「赤ワインのクラレットを打ってくれ、バレット」と気の利いた言葉で注文した。この作品はクローゼットの中で録音したような音で、音響効果が荒っぽく挿入され、多くのラジオ放送局で放送が禁止されたのだが、それでもそのことでトップ・テン入りが妨げられることはなかった。(訳者注:全国では、ビルボードで13位だったが、ヒットした地域では10位以内だったのかも知れない)(あるいは、続いてエイプ・コールApe Callがリリースされたが、あまりヒットしなかった。)
それから、二流のブルース歌手、ジェイ・ホーキンスJay Hawkinsが、オーケー・レコードOkehでレコーディングしたが、あまりうまくいかなかった。
彼は、アイ・プット・ア・スペル・オン・ユーI Put a Spell On Youをレコーディング用に与えられたが、ボーカルにてこずり、酒を飲んだ。
酔っぱらってふらふらになりながら、何とかやり通したが、歌詞の間に叫び声やガラガラ声をまき散らした。レコード会社は、ロックンロールの子供たちが気に入るだろうと考えて、彼の名前を絶叫ジェイ・ホーキンスScreamin’ Jay Hawkinsと改名して、闇取引でヒットしているのを傍観していた。ホーキンスのキャリアはここから始まり、2007年に亡くなるまで続くのだが、この曲をレコーディングしたことすら覚えていなと言っている。もっとプロらしくて(しかし、大したものではない)、全く謎だったのがチップスChipsのラバー・ビスケットRubber Biscuitで、ブルックリンのグループのメンバーの一人、チャールズ・ケンロッド・ジャクソンCharles Kenrod Jacksonが、不良ティーネージャ―向けウォーウィック・スクールWarwick Schoolと言うところにいた時に書かれた曲で、そのように聞こえる。
基本的に多音節ワン・コードの唱法で、たまに英語っぽい単語が現れるが、ビスケット、丸いパン、サンドウィッチ、のことを話しながら、バス・シンガーが時々邪魔をして、このレコードは最終的にこういって結論付ける。「ただで何が欲しいのかい?天然ゴムのビスケットかい?」ポップ・チャートもR&Bチャートもこの訳の分からないレコードをチャートインさせることは無かったが、レコード収集家の心に残り続けた。(チップスthe Chipsのメンバーの一人、サミー・ストレインSammy Strainは、その後リトル・アンソニーとインペリアルズLittle Anthony and the Imperials、さらにその後オージェイズO’Jaysのメンバーになった。