しかし、ロックンロールはエルビスが先頭になって、この年の流行を完全にした。彼がミルトン・バールMilton Berleの番組に登場したことが何かの引き金になったようだ。
最初は4月3日にとても順調に始まったが、6月になると、それまで無視していた批評家たちが彼を追いかけ、ニューヨークのジャーナル・アメリカンJournal-Americanの批評家ジャック・オブライエンJack O’Brienは、「彼は少しも歌えず、奇妙で、専属住民の求愛ダンス一歩手前の奇妙で露骨に考えられた思わせぶりの動作で、ボーカルの欠点を補っている」と言っている。
エド・サリバンEd Sullivanはエルビスに関するマスコミの悪評を読んで、あまりに挑発的なので自分の番組に登場させられないと言ったが、そのことで最大のライバル、スティーブ・アレンSteve Allenは、7月1日日曜日の同時間に、自分の番組に登場させることになった。
アレンはロックンロールが好きということでは全くなかったが、彼のいつものルーチンは、演出効果のためにトゥッティ・フルッティTutti Fruttiやビー・バッパ・ルーラBe-Bop-A-Lulaなどの歌詞を読む(実際に朗読する)ことだった。
そしてアレンはエルビスをあまり好きではなかったようで、タキシードを着させシルクハットをかぶらせ、ハウンド・ドッグHound Dogを本物のハウンドドッグに向かって歌わせた。
しかし、二人のライバル関係上、初めてアレンがサリバンに完勝した。サリバンはプライドを捨てて、5万ドルで9月から3回登場することを申し出た。この戦いには勝たないわけにいかない。
しかし一方で、ハリウッドでエルビスの最初の映画ラブ・ミー・テンダーLove Me Tenderの撮影と、サウンドトラック・アルバムの録音が始まった。
映画を撮るハリウッドの人たちは、エルビスがなすべき仕事を熱心にしていることに感心したが、2頭のラバの後ろで耕すシーンに丸一日を費やさなければならないことに不満を漏らした。夜になると、エルビスは、理由なき反抗で端役で、エルビスの映画にうまいことを言って精力的に入り込もうとしているニック・アダムスNick Adams、ニックのルーム・メイトのデニス・ホッパーDennis Hopper、彼らの友人で、理由なき反抗のベテラン、ナタリー・ウッドNatalie Woodと付き合った。
エルビスの従妹ジーンGeneも周りにいて、ある時、スコッティ―Scotty Mooreとバンドがサウンド・トラック・アルバムのために、オーディションに出かけてきた。
一方で、サリバン・ショーに向けて準備した。残念ながら、エド・サリバン自身は数週間前の自動車事故の後遺症でねたきりのため準備ができず、俳優のチャールズ・ラフトンCharles Laughtonがホストを受け持っていた。
間もなく上映される映画ラブ・ミー・テンダーのテーマ曲を消化したのは、9月9日のこの番組でのことで、この直後、RCAは100万枚以上のレコードを発注した。それからエルビスはメンフィスに飛んで、事前発表の通り、生まれ故郷のミシシッピー州テュ―ペロ市で激しい帰郷ショーを開催した。
この映画は撮影後の編集作業に入り、感謝祭の週末過ぎに封切り予定で、エルビスが岐路に着くまでには、ラブ・ミー・テンダーを上回る次の映画製作が始まっていた。エルビスの映画は主にドラマから成っていて、あまり音楽は無く、白黒で撮影された。アニメ制作者から監督になったフランク・タシュリンFrank Tashlinは、ガーソン・カニンGarson Kaninの小説「ド・レ・ミDo Re Mi」に基づいた20世紀センチュリー・フォックスの急ごしらえの映画製作を引き受けた。
ギャングに雇われたアルコール中毒の広報代理人が、自分のガールフレンドを6週間で話題のトップ歌手にする話で、それができないとひどいことになる。もちろん、これはエルビスが当時のポップ・ミュージックの業界にどっぷり浸かり、当時人気のあったアーティスト達の登場する機会がふんだんにあることを意味する。トム・イーウェルTom Ewellが広報代理人、ジェーン・マンスフィールドJayne Mansfieldがガールフレンドを演じ、ファッツ・ドミノFats Domino、プラターズthe Platters、リトル・リチャードLittle Richard、ジーン・ビンセントGene Vincentとブルー・キャップスBlue Caps、そのほかに数人いたが、今では大体忘れられ(トレニアーズthe Treniers、チャックルスthe Chuckes、ジョニー・オーレンJohnny Olenn)、本人たちが最新レコードを本人として演奏して登場した。
リチャードの歌の一曲から映画のタイトルを「女はそれを我慢できないThe Girl Can’t Help It」としたが、一方で、ある程度使い捨ての軽いコメディーであるものの、他方では、ロックンロールが本領を発揮する輝かしいタイムカプセルでもある。
音楽が続く場面はどれも鮮やかに撮影され(映画がカラーだったことも良かった)ていて、ジーン・ビンセントとブルーキャップスGene Vincent and the Bluecaps、そして、リトル・リチャードLittle Richardは、特に興奮して演奏した。特に印象的な方法で当時の年強を表すシーンがある。それは、イーウェルの家政婦がテレビのついている部屋で働いてい時、エディ・コクランEddie Cochranが登場してトゥエンティ・フライト・ロックTwenty Flight Rockを演奏する。
この中年の黒人家政婦は音楽で興奮して感情を抑えきれなくなったため、イーウェルをテレビにくぎ付けにさせてしまった。どんなロックンロールにするか、観客はどんな人かということに関して、会議もマーケット・リサーチもなかった。誰もが分かっていたのは、これは一時的流行で絶頂に達する前にここから抜け出なければならないということだ。