1956年初め、最も近いレコーディング・スタジオ、ニュー・メキシコ州クロービスにあるノーマン・ぺティNorman Pettyに行き、録音した。
ティーン・キングズthe Teen Kingsは毎週30分番組を持っていたが、その後がウェルドン・ロジャースWeldon Rogersの率いるカントリー番組で、誰かがロジャースに、クロービスで作ったティーン・キングスのテープをかけることを提案した。
ロジャースは、ジュ・ウェルJewel(ジャン・オリバーJean Oliverとウェルドン・ロジャースをとっていて、オリバーはジャンの娘で、このレコード会社に共同融資している。)というレーベルを作って、このレコードは西テキサスで騒ぎになった。ラボックのあるお店では、1週間で250枚売ったのだ。ティーン・キングズの番組もレギュラーではない、ティーン受けするアーティストを招待し、ジョニー・キャッシュJohnny Cashも出演した。
オービソンと彼のバンドの演奏を聴いた後、サム・フィリップスSam Phillipsに連絡を取るように、キャッシュはロイにアドバイスした。
サムは彼一流の言い方で、「ジョニー・キャッシュは、うちのレコード会社の経営者じゃない。」と言って電話を切ってしまった。しかしサムは、ジュ・ウェルのシングルを聞くと発言を撤回し、ロイと彼のバンドをメンフィスに招いて録音した。
ロイとサンとの契約を実行しないように、ウェルドン・ロジャースに対して差し止め命令も取ったのだが、その判決にはレコードを作ることを含んでいなかったので、ロジャースはノーマン・ぺティと話して、ぺティが新たなプレス費用を出した。しかし、サムは自分のスタジオで、ゴー・ゴー・ゴーGo! Go! Go!という曲を再編集していて、もう一面にし、5月にリリースした。
それはすぐに売れ、サムは、自分のところのアーティストのための売り込みエージェントである、スターズ・インコーポレイティッドStars Incorporatedを設立していて、ボブ・ニールBob Nealと一緒に、巡業に行く準備をするようにティーン・キングズに言った。
彼らは巡業をし、誰かがマイクロフォンまでロイを連れて行った。(ロイはほとんど目が見えなかったが、ステージ上では分厚い眼鏡をどうしてもかけようとしなかった。)
彼らの巡業は7月1日、メンフィスのオーバートン・パーク野外音楽堂で終了したが、エルビスがサプライズ登場した。その巡業にはジョニー・キャッシュ、カール・パーキンス(ついに退院し、ペリー・コモ・テレビ・ショーに登場して、新しいシングル盤、ボッピン・ザ・ブルースBppin’ the Bluesは評判になっていた。)、そして、有望な新人のウォーレン・スミスWarren Smithがいて、サンから出ているスミスのレコード、ロック・アンド・ロール・ルビーRock and Roll Rubyは、アクションをその巡業中付けていた。
ウービー・ドゥービーOoby Dooby以降オービソンはヒットがなく、その歌詞は本当にくだらないものだが、くだらない歌詞というのがアメリカのポピュラー音楽の一部なのだ。
バージニアで事故の前夜、カール・パーキンスが紹介されたあの子、つまり、「印象的な昔なじみの曲」の彼、を例に挙げよう。ユージーン・ビンセント・クラドックEugene Vincent Craddockはロイ・オービソンRoy Orbisonのようなティーン・アイドルではまるでないし、足は不自由で顔はやつれていたが、最初のレコードは彼が好きな漫画本のリトル・ルルLittle LuluにインスパイヤされたビーバッパルーラBe-Bop-A-Lulaという曲名で、トゥッティ・フルッティTutti Frutti同様、最高にナンセンスだった。
しかしナンセンスというだけではなく、同時にすごい曲(重くゆっくりした)で、悪いことが起こりそうな(ボーカルは不吉に震え)、性的憧れのにおいがプンプンして(というのは、ビー・バッパ・ルーラBe-Bop-A-Lulaは彼に「もっと、もっと」くれる女の子だから)いる。
クラドックはキャピトル・レコードのために名前をジーン・ビンセントGene Vincentに変えたが、人々がエルビスに対していただいているものすべてを持っていた。21歳で、ヒルビリーの悪党で、アルコールやピルの問題を起こし、女と突飛な行動を何回もどぎつくしでかした。彼は、素晴らしいロックンロール・バンドのリーダーでもあり、このバンドは、ブルー・キャップスBluecapsと言い、ノーフォークの船乗りに料理を提供するバーで働いていた連中で、本当に素晴らしいギタリストのクリフ・ギャラップCliff Gallupが売りだった。
ビンセントの感情の起伏やら、彼の最初のレコードが不意打ちを食らわせたりしたやらで、彼をどう扱ったらよいか分からないために、彼は見過ごされ、ブルー・キャップスは更に見過ごされた。