ロックンロールの歴史 1956年 8

このグループは才能も有ったが、ティーネイジャーズThe Teenagersという名前に変えたのはゴールドナーGeorge Goldnerが賢明だったからだ。

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(もしくはバレットで、どちらかは確かでないが。)一つには、このメンバー達は、新人演奏者の多くとは異なり、ティーネイジャーだった。もう一つには、この音楽を買うのもティーネージャ―だから、フランキーとその友人が、この名前を強く推した。同様だったのが、エディ・マイ・ラブEddie My Loveで同じ年の初めに成功した、RPMレコードのワン・ヒット・グループ、ティーン・クイーンズTeen Queens、そしてニューヨークの男女ハーモニーをフルに使った、ア・カジュアル・ルックA Casual Lookのシックス・ティーンズSix Teensだ。

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2月4日にジョージアからシンシナティに自動車運転していた連中はもっと典型的だった。全員が20代前半のフレイムスthe Flamesは、ジョージア州トコアにある少年仮収容所で生まれ、リード・シンガーは自動車を盗み、それを乗り回した罪でその収容所に服役していた。

The Famous Flames - Wikipedia

また、ボビー・バードBobby Byrdはトコアの子供で、母親は宗教心が厚く、息子にそれを伝えたが、息子はゴスペルシンガーでピアノを演奏していて、教会の現場出張サービスの時、仮収容所で演奏した。

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ボビーは、他の被収容者からミュージック・ボックスと呼ばれ、仮収容所でゴスペルを歌っていた子供に繰り返し出くわし、ついには日の目を見られるようにと、バードの母親が自らミュージック・ボックスのスポンサーになることを承諾した。それは典型的な例で、必要とされる子供はボビーが好きで、ボビーに注意を払う人間で、すぐにボビーと、ミュージック・ボックスと呼ばれていたジェームス・ブラウンJames Brownは、地元で演奏の仕事をするためのグループを集めていた。

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彼らは、誰も見たことが全くなかったようなグループで、ゴスペルの芸能人としての力と、その時代にふさわしい活力を持っていた。そして、3年間南部中で経験を踏んだ後、キング・レコードKing Recordsのタレント・スカウトであるラルフ・バスRalph Bassの目に止まった。

Memorial Hall hosting King Records 75th anniversary celebration

REMEMBERING MY FATHER RALPH BASS - YouTube

バスは特に地方のラジオ局でそのグループが録音したテープを気に入り、それをプロにダビングさせることにした。そして、バスが2月4日に仕事をしに来た時、ジョージア州のプレートを付けた車があり、中には数人が寝ていて、上部にはベースが括り付けられていたのを見つけ、フレームスがやって来たと思った。数時間後、彼らはキングがセッションで使っていたミュージシャンたちと一緒にスタジオに入り、仕事にとりかかった。シド・ネイザンSyd Nathanが調整室に入り、状況を把握すると、「このざまはなんだ?」と言った。

SYD NATHAN – All About Blues Music

つっけんどんで有名なのはシドだけではなく、ミュージシャンも嫌だった。しかし、最終的に、全員が気に入らなかった一曲を含め、4曲のセッションを終え、バスはタレントをもっと探すために出張に戻った。ある日、キングのセールスマンが、事務所に電話するようにとバスに伝えた。「お前は首だ」というのがシドの第一声だった。「シドはただ一言だけ言った。お前は首だ。」ああ、バスは何が起こっているか理解した。ビッグ・ジョー・ウィリアムスの昔の曲「ベイビー・プリーズ・ドント・ゴーBaby Please Don’t Go」をゴスペル調に変えた「プリーズ・プリーズ・プリーズPlease Please Please」のことだった。

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バスはシドに、南部で試験的に販売して、少なくともチャンスを下さいと嘆願した。「くそったれ。あのレコードが、くそ野郎だということをはっきりさせるために全国で発売する」とシドは言った。

そして3月3日、発売した。ヒットするまでにはしばらくかかったが、最初にディスク・ジョッキーのジョンR John R.と南部ガラティンのHoss Allenが気に入り、すぐにどんどん売れ、4月終わりにはR&Bのヒットだと認められた。

Nick's Radio Corner: Swingin Soul Medallion Commercial from John R WLACBill "Hoss" Allen - Wikipedia

唯一の問題点は、フレームスがレコードを手に入れた時に、これが「ジェームス・ブラウンとフェイマス・フレームスJamed Brown and the Famous Flames」の曲となっていたことだ。

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どうしてそうなったのか?皮肉なことに、キングにはゴスペルをたくさん歌うもう一つのグループがいて同時に契約していたのだが、そっちならスタジオ・ミュージシャンが確認していたろう。それはファイブ・ロイヤルズ”5”Royalesで、アポロApolloから1954年にキングに飛び込み、良い曲をたくさん出していたが売れていなかった。

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ロイヤルズthe Royalesは巡業をし、人気があった。フレームスはこの時期に彼らに会い感動していたが、ラジオやチャートには登場していなかった。そして、最もゴスペル色の強いボーカリスト、レイ・チャールズRay Charlesは成功していたが、ティーネイジャーからの人気はなかった。

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彼のR&B1位の大ヒット曲、ドラウン・イン・マイ・オウン・ティアーズDrown in My Own Tearsは素晴らしい演奏だが、すごくゆっくりしたテンポで(当時、このようなことをわざわざ測定する人はいなかっただろうが)、たぶんほとんどが大人に売れたのだろう。

Ray Charles - Drown In My Own Tears (1962, Vinyl) | Discogs

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