ロックンロールの歴史 1956年 3

問題は(あるいはバディBuddy Holleyのようにポジティブな考え方をするのなら、調整だが)、町に入ったとたんに始まった。

Amazon.co.jp: Buddy Holly.. -Coll. ed-: 音楽

デッカはバディに、自分のバンドを使うのはOKだが、ボーカル・マイクに音漏れする懸念があるので、リズム・ギターで演奏することを嫌がり、ナッシュビルのセッション・マンであるグラディ・マーチンGrady Martinを呼んだ。デッカはロックンロールのドラムも気に入らず(アリソンJerry Allisonはまだラボックにいたので、バディのバンドから調達しようとはせず)、パーカッション演奏のために、ダグ・カークハムDoug Kirkhamをリストアップした。

Drummerszone - Jerry Allison

セッションを監督していたのは、スタディオのオーナーであるオウエン・ブラッドリーOwen Bradleyで、彼のかまぼこ型建築物は伝説的音響特性があり、ブラッドリー小屋としてナッシュビル中に知れ渡っていた。

Owen Bradley | Tennessee Encyclopedia

1月26日のセッションでは、4曲できた。ブルー・デイズ・ブラック・ナイツBlue Days, Black Nishts、ドント・カム・バック・ノッキンDon’t Come Back Knockin’、ラブ・ミーLove Me、そして唯一、オリジナルでない曲、ミッドナイト・シフトMidnight Shift、だった。

Amazon.co.jp: Blue Days Black Nights: 音楽

popsike.com - BUDDY HOLLY Ultra RARE Australian EP - LOVE ME - L K -  auction details

Buddy Holly - Rock'N'Roll (1976, Vinyl) | Discogs

(バディがかわいい、純真な子供とみていた人達にとっては、最後の曲は「アニーAnnie」シリーズの遠い親戚で、「アニーちゃんに会ったら、乗せてあげたら良い。

Amazon.co.jp: Ohh! Annie!: 音楽

だって、アニーは深夜シフトで働いていたんだから。」という歌詞で始まるので、バディの危険な内面を見ることになる。)デッカへの任務を果たし、彼らは車に乗り込み、ラボックへと運転して帰った。4月になって一枚のシングルが発売された。それは、ブルー・デイズ、ブラック・ナイツで、B面は、ラブ・ミーだった。どちらもバディが望んでいたものをうまく表現していなかったし、さらなる問題としては、ラベルの彼の名前を“Holly”と誤記したのだ。デッカ・レーベルにはビル・ヘイリーBill Haleyがいたにもかかわらず、デッカはバディをどう扱ったらよいか分からなかった。

Bill Haley And His Comets | Discogs

(ヘイリーはニューヨーク・オフィスを通して契約していたが、ニューヨークはナッシュビルよりもポップ・ミュージックを扱うのに慣れていた。)振り返ってみて、オーエン・ブラッドリーOwen Bradleyはホリーの伝記作家ジョン・ゴールドローゼンJohn Goldrosenに、「良い組み合わせではなかった。

John J. Goldrosen - a Boston, Massachusetts (MA) General Municipal Lawyer

相性が良くなかった。意図したものではなかった。私たちには分からなかったし、バディはどう話したらよいか分からなかった。」と認めている。そして、レコード売り上げ、ラジオ放送はそれを反映した。それも仕方ない。まだ契約があり、その年の後半、ナッシュビルでセッションがあった。

サンに戻って、カール・パーキンスCarl Perkinsはチャンスを待っていた。

Carl Perkins - Original Golden Hits (1969, Vinyl) | Discogs

彼はできるだけうろうろし、エルビスと良い友達になった。サムSam Phillips はよくパーキンスCarl Parkins のリハーサルをし、取り組んでいる考えを着ていた。

Sam Phillips and Carl Perkins | Country music stars, Country music artists,  Rhythm and blues

というのは、パーキンスには間違いなくカントリーの曲、そしてロックの能力に対しても、才能があるところに興味をそそられたからだ。結局エルビスのすることはパーキンスもやり、レコーディングをしてもらいたかった。ある日サムは、パーキンスの音楽は変わっているのだから、衣装もそれに見合ったものにした方が良いとアドバイスし、ランスキーLanskyの店を紹介した。

Clothier who dressed Elvis Presley dies in Tenn. - Hartford Courant

その店で、エルビスやメンフィスのR&Bのアーティストたちの多くが衣装をあつらえた。みんな自分の買い物をし、エルビスは友人のために青いシャツを見つけ、黒いスラックスによく合うと言った。カールは、タキシードのズボンに組み合わせた絹の縞模様生地に興味をそそられ、家に持ち帰って、奥さんに、ピンクのリボンを足に縫い付けてもらった。みんなが会った翌日、エルビスはそれを見て感心し、カールはヒルビリー・キャットHillbilly Cat!のショーの人気を奪った。

Elvis Presley - Elvis: The Hillbilly Cat (1982, Vinyl) | Discogs

こうなると、カールは衣装に合音楽を手に入れなければならなかった。サムは、組合に入らないミュージシャンのために使っていたフリップFlipというレーベルを持っていて、カールの最初のレコードは、このレーベルから1955年2月に発売された。カールはカントリーの曲を出すためにサンに移籍し、9月に「ゴーン・ゴーン・ゴーンGone, Gone, Gone」、そのB面は「レット・ザ・ジュークボックス・キープ・オン・プレーイングLet the Jukebox Keep On Playing」を出した。

Flip Records (2) レーベル | リリース | Discogs

Carl Perkins - Gone, Gone, Gone / Let The Jukebox Keep On Playing (Terre  Haute Pressing, Vinyl) | DiscogsCarl Perkins - Let The Juke Box Keep On Playing / Gone, Gone, Gone (Vinyl)  | Discogs

しかしその時点ではエルビス周辺のドラマがあったために、ジュークボックスはメンフィスのカントリー・レコードとしては秀逸だったし、ゴーンはロックンロールに近づいていたにもかかわらず、良い結果は出なかった。1955年の夏には、カール、エルビス、そして最近サムが契約しすぐにカールのお気に入りになったジョニー・キャッシュがいて、メンフィス周辺で何回か小さなショーを開いた。

Million Dollar Quartet - Wikipedia□Sam Phillips: The Man Who Invented Rock 'N' Roll | エルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、 カール・パーキンス、ジョニー・キャッシュ・・・・・・。  ロックンロールの基礎を築き上げたサン・レコードとその創設者サム・フィリップスのプロデュースによる ...

そしてある日、アーカンソー州パーキンで、彼らは楽屋でうろうろしていた時、キャッシュはカールの最近何か曲を書いたかと尋ねた。「特に大したものは書いてない。」とカールは答えた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です