5月半ばに、マディ・ウォーターズMuddy Watersは、セント・ルイスのクラブ、コスモポリタンで見たギターとピアノのデュオについてチェス・ブラザースChess Brothersに話をした。
チャック・ベリーChuck Berryとジョニー・ジョンソンJohnny Johnsonは、シカゴに言って何か売るものがあるかどうかを見に行くことに決め、都市に入るとマディと契約した。
チェスが第一希望で、そこで自分を売り込んだとベリーは語ったが、しかし他の人の話によると、最初マーキュリーMercuryから放り出され、もしかするとビー・ジェイVee Jayに行ったのかもしれなかった。
しかしチェス兄弟はマディの熱意に耳を傾け、それからベリーはジョンソンと一緒に作ったデモ・テープを持って入ってきた。ベリーが売り込もうとした曲は、ウィー・ウィー・アワーズWee Wee Hoursで、ジョンソンは「昔からあるト調の普通のブルース」だとはっきり言ったが、フィル・チェスPhil Chessの耳の中で陽気に聞こえたのは、ベリー・バージョンのカントリー・ソングで、長く立派な歴史のあるアイダ・レッドIda Redのフィドルの曲だった。
この曲は、ボブ・ウィルスBob Wills(1950年にアイダ・レッド・ラブズ・ザ・ブギ―Ida Redt Loves the Boogieとして)、ジャック・ガスリーJack Guthrie、そして、かなり現代風なのでベリーが真似たであろうバージョンのカウボーイ・コーパスCowboy Copasがレコーディングした。
ベリーはルイ・ジョーダンLouis Jordanの言葉の軽妙なやりとりを崇拝していて、別の男と一緒に逃げるガールフレンドを歌手が追いかける時の刺激的なカーチェースに歌詞を変えている。
フィル・チェスは、こんな曲は「聞いたことがない。もしレコードにできればヒットするだろうと思った…。その曲には何か新しい感じがあった。」と言っている。もちろん、アイダ・レッドとは違って、伝統的な歌なので著作権を取得することはできないため、他の題名にするようにベリーに勧めた。ベリーは美容師の訓練もしていたので、人気のある化粧品の名前をとって、メイベリンMaybellenを思いつき、フィドルを入れて、ほんのわずかだけコーラスのメロディーを加えた。
5月21日、彼ら(ベリー、ジョンソン、ドラマーのエビ―・ハーディーEbby Hardy、チェス・レコードのベイシストのウィリー・ディクソンWillie Dixon、どこにでも登場するマラカスのジェローム・グリーンJerome Green)がスタジオに行き録音した。
録音には長い時間がかかった。というのはフィルPhilip ChessとレナードLeonard Chessは何を求めるかについて考えがなかったからだ。
そしてある時、浴槽にマイクロフォンを突き出し、ベリーがそれに向かって歌い、エコーをかけた。OKが出るまに35回テイクとしたべリーは主張する。それでも、ああ、ちゃんと録れたのだ。ちゃんとできたからこそ、2か月間リリースしなかった。ボ・ディドリーはまだ良く売れていたし、マニッシュ・ボーイManish [sic] Boyというタイトルの、アイマ・マンI’m a Manのマディ―のバージョンも、大いに売れていた。
メイベリン(裏面はウィー・ウィー・アワーズWee Wee Hours)は、レナードがアラン・フリードAlan Freedとの仕事の打ち合わせのためにニューヨークに行くまで、完成後2か月間そのままだった。
レナードはアセテート盤のレコード(名前も曲名もなし)をフリードに預け、「これをかけてくれ」と頼んだ。「シカゴに戻るまでには、フリードが何度も電話をかけてきて、『今までのレコードで最高だ』と言った。」チェスは、新しいレコードについてはとても慎重で、新発売時には、2,000枚以上をプレスすることは珍しいのだ。メイベリンはニューヨークからの需要にこたえるだけで1万枚をプレスすることになり(フリードはある番組で連続して2時間このレコードをかけ続けたようだ)、それからは狂ったようになった。
カバー・バージョン(カントリー・シンガーのマーティー・ロビンスMarty Robbinsのバージョン)が出たが売れなかった。
アンサー・レコード(カム・バック・メイベリンCome Back Maybellene)が出たが売れなかった。
オリジナルだけが売れた。レコードを買ったりジュークボックスでかけたりしているティーネージャ―達は、初版において、唯一の作家としてチャック・ベリーを挙げていたことには、確かに気がつかなかったが、8月より後にプレスされたレコードには、アラン・フリード、ラス・フラットRuss Fratto、ビルの家主チェスが載っていた。
チェスがフリードに分け前の一部を与えた理由は簡単にわかるし、クレジットの中に家主が入っているもっともな理由もいくつか推測できるが、ベリーが印税の前払い金としてレナード・チェスの息子マーシャルと取り決めたという話は無さそうだ。というのは、ベリーは後に音楽ビジネスに精通したが、当時はまだそうでなかったからだ。