ロックンロールの歴史 1955年 4

プラターズthe Plattersは、キング・レコードKing Recordsでダメだったのだ。

Last original member of The Platters dies | NMEKing Records レーベル | リリース | Discogs

マーキュリーMercuryはリスクをとる価値があると考えた。

Mercury レーベル | リリース | Discogs

ペンギンズthe Penguinsは明らかにレコード購入者の欲しがるものを持っていて、プラターズは持っていない。

The Penguins - The Cool Cool Penguins (1958, Vinyl) | Discogs

しかしペンギンズを獲得するために必要なら契約しよう、と考えたのだ。もちろんペンギンズはその後ヒットらしきものなかったが、ラムはプラターズに、ゾラ・テイラーZola Taylorという女性を付けた。

Zola Taylor | ディスコグラフィー | Discogs

そして彼女は、まあ、未知数だが可能性がある。プラターズは4月にシングルを出すことを許され、リード・シンガーのトニー・ウィリアムスTonny Williamsは今までスタジオでは使ったことのない声を出し、他のメンバーはトニーを囲んで近くに行き、ハーモニーを付けた。

Tony Williams | ディスコグラフィー | Discogs

そしてオンリー・ユー(アンド・ユー・アローン)Only You (And You Alone)は、プラターズにとって初の複数チャートにまたがる45回転レコードになった。

プラターズ55年デビュー曲で全米5位ミリオンセラー「オンリー・ユー」 | 竜馬のブログ 我が青春のポップス

シカゴでは、チェス・レコードの兄弟the Chessが絶好調だった。

Roll Over, Beethoven: Chess Records And The Rock'n'Roll Revolution

マディ・ウォーターズMuddy Watersは何をやってもうまくいってるようだったし、ホーリン・ウォルフHowling’ Wolfはその後に続いていた。

Muddy Waters | Biography, Songs, & Facts | Britannica

リトル・ウォルターLittle Walterは、まだジュークJukeを超えていなかったが、やる気がなかったわけではなかった。

Amazon | Best of Little Walter | Little Walter | シカゴ・シティブルース | 音楽Little Walter And His Night Cats* - Juke / Can't Hold Out Much Longer  (1952, Shellac) | Discogs

そして、アラン・フリードAlan Freedがチェスに連れてきたグループのムーン・グローズは、シンシアリーSincerelyで大ヒットし、トップになったマクガイヤー・シスターズMcguire Sistersのカバーに破られる以外は、チャートに居続けた。

Count Basie and Alan Freed - JazzWax

The Moonglows - Sincerely (1991, CD) | DiscogsThe McGuire Sisters* - Sincerely (1996, CD) | Discogs

本来の順位よりも良くなったのだから、カバーされたことは取るに足らないことだ。そして、ウィー・ビロング・トゥゲザーWe Belong Togetherはすぐ後を追いかけて出たがカバーされず、放送もされなかった。チェスの兄弟の門戸開放政策は2月に、兄弟が録音した、アイム・ア・マンI’m a Manとアンクル・ジョンUncle Johnのデモテープを持って、エラス・マクダニエルEllas McDanielとビリー・ボーイBilly Boyが現れた時に、効果を上げた。

Amazon Music - ボ・ディドリーのSay Man (Ellas McDaniel - Amazon.co.jpBilly Boy Arnold Archives - Ponderosa Stomp

翌日、戻って来てくれと頼まれ、マクダニエルとアーノルドは、デモ盤を聴こうと待っている観客がいるのを見たが、それはマディ・ウォーターズ、リトル・ウォルター、チェスの両兄弟だった。誰でもこの二曲を気に入る。アンクル・ジョンはドンドンというビートがいつまでも続き、その上にマクダニエルが本来は童謡だった歌を歌った。アイム・ア・マンはゆっくりした、時間の止まるような伴奏の上に、凄みを利かせていた。それでも、二、三、変更必要する必要があった。ひどい点は、マクダニエルが実生活では控えめなボクサーだが、黒縁の眼鏡をかけた会計士のように見えるので、見た目を変えなければいけない。ビリー・ボーイは南部のやり方を思い出したが、それは倉庫に針金を打ち付け、もう一方の端を箒にくっつけて、ビーンと音が鳴るようにはじくもので、ディドリーの弓だ。ビリーの友人はボ・ディドリーBo Diddleyと馬が合い、翌日の3月2日、彼らの友人でマラカスを演奏する、ジェローム・グリーンJerome Greenとともにセッションから別れた。

flavioloco: “ Bo Diddley and Jerome Green, 1958. ” | ギタリスト

ビリー・ボーイの歌は発売されなかったが、ボ・ディドリーの曲は発売され、ボ・ディドリーBo Diddleyとアイム・ア・マンI’m a Manは、すぐに両面ヒットになった。

Bo Diddley - I'm A Man - The Singles As & Bs 1955-1959 - Amazon.com Music

アメリカ・ポピュラー音楽の中で大きな動きとしてロックン・ロールが生まれた瞬間を選ばなければならないとすれば(実際にはしないが)、1955年5月は良い候補かも知れない。ビル・ヘイリーとコメッツBill Haley and the Cometsはビッグ・ジョー・ターナーBig Joe Turnerのシェイク・ラトル・アンド・ロールShake, Rattle and Rollの品行方正版を1954年8月に発売したが、それに続くマンボ・ロックMambo Rockとバース・オブ・ザ・ブギ―Birth of the Boogieは、それに近付くことはできなかった。

Bill Haley And His Comets - Shake, Rattle And Roll (1954, Vinyl) | DiscogsBig Joe Turner - Shake, Rattle & Roll And Other Favorites (1997, CD) |  Discogs

Amazon Music - ビル・ヘイリーのMambo Rock - Amazon.co.jpBirth of the Boogie - Wikipedia

それから5月になると、もう少し押しが強くビートの利いた曲が姿を現し始めた。ロック・アラウンド・ザ・クロックRock Around the Clockは1954年にリリースされ、そのままパッとしなかったが、暴力教室the BlackBoard Jungleという高校の少年非行を扱った映画を誰かが作り、ぴったりの雰囲気で映画を始める方法として、その映画の開始時にこの曲をかけた。

Amazon.co.jp: Rock Around the Clock: 音楽Amazon.co.jp: Blackboard Jungle [DVD] [1955]: DVD

それが必要だった。子供たちは、この曲のレコードを買いにレコード店に走り、1955年5月になると、この曲はチャートの1位になった。ヘイリーはティーンのアイドルに似つかわしくなく、丸々と太った、30歳の、額に滑稽な渦巻き状のカールがあり、そしてコメッツの他のメンバーは同じくらいの年齢だ。しかし、どちらかと言えばマイルドな音のレコードの周りには、一線を画すような、何か挑戦的なところがあった。他のことも起きたが、それは、イングランドでこの映画が封切られたことだった。

最初はかすりもヒットしなかったビル・ヘイリーの名曲「Rock Around The Clock」 - uDiscover

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です