ロックンロールの歴史 1955年 3

もう一度スペシャルティSpecialtyに話を戻して、アート・ループArt Rupeは、ゴスペル以外はすべて問題を抱えていた。

Specialty Records | ConcordArt Rupe - In His Own Words: Art Rupe - The Story Of Specialty Records  (1998, CD) | Discogs

ループとジョニー・ビンセントJohnny Vincentとの関係はぎくしゃくしていて、結局ビンセントは、ミシシッピ州ジャクソンに本拠があるエース・レコードAce Records(櫛のブランド名にちなんで名付けた)で独立したが、ビンセントの関心は相変わらずニュー・オーリンズのタレントだった。

Ace Records (@AceRecordsLtd) | Twitter

しかし、ループはニュー・オーリンズの地でどうしてもだれかが必要だった。ループは、R&Bのリストを現代的なものにするために、野心的でシアトル出身の若い黒人の男の子、ロバート・バンプ・ブラックウェルRobert “Bumps” Blackwellを選び出した。

Robert Blackwell | ディスコグラフィー | Discogs

(ループはシアトルのジャズバンドで働いていたが、そこにはピアニストのレイ・チャールズRay Charlesと若き日のトランペット奏者クインシー・ジョーンズQuincy Jonesがいた。)

Ray Charles, Quincy Jones | Quincy jones, African american musicians, Ray  charles

ブラックウェルはミュージシャンと良好な関係にあり、一流の楽器奏者ではなかったが、アレンジがうまいので、良いプロデューサーになるだろうとループは考えていた。ループはブラックウェルに、事務所に積み上げられたデモ・テープを聴いて行くようにさせたところ、2週目に、油の汚れのついた茶色の紙袋に入って郵送されたテープを見つけた。ブラックウェルが機械にテープをかけると声が聞こえた。「アート・ループさん、リトル・リチャードと彼のアップセッターズLittle Richard and his Upsettersをお聞かせします。」

The Upsetters | ディスコグラフィー | Discogs

ブラックウェルは少し聞いて、送り主に郵送で戻すために、そのテープを山積みへと放り投げた。「そのテープをもう一度聞いた理由は、リチャードが何度も電話してきて、うるさかったからだ。ほぼ一日おきに電話してきた。」とループは後に語った。それには理由があった。リチャードは必死だったのだ。ドン・ロビーDon Robeyのところでリチャードが出したレコードは売れず(最終的には発売されたレコード、ってことだけど)、リチャードは、メイコン・バス駅で生活のために皿洗いをしていない時に、チットリン・サーキットCHITLIN CIRCUITの最低レベルで働いていた。

Don Robey - Alchetron, The Free Social EncyclopediaAmazon | There Was a Time: James Brown, The Chitlin' Circuit, and Me |  Leeds, Alan, Thompson, Ahmir "Questlove" | Soul

我慢が限界に達したループはオーディション・スタジオまで下りて行き、ブラックウェルに、二人で聞けるようにテープを探し出させた。

「リチャードはB.B.Kingのようには聞こえないけど、同じ感覚を持っていて、しかも、ゴスペル・サウンドともう少しエネルギッシュなので興味があり、契約すると判断した。

BB King | 歌手, ミュージシャン, ブルース

3月初めにループは、リチャードのマネージャーに契約書を送り、アトランタでセッションすることとなった。残念ながら、リチャードはまだロビーと契約中であるため、その契約から引き抜く段取りが整うまで、セッションはキャンセルになった。それにはしばらく、かかった。

ボーカル・グループっていうものはカリフォルニアでは、二、三の例外を除いて、まだ人気が出ていなかった。キャピトルCapitolはファイブ・キーthe Five Keysと契約し、1951年にAladdinから出たザ・グローリー・オブ・ラブthe Glory of Loveが大ヒットした。

米国レコード会社と契約しているK-POPアイドルまとめ |Glory of Love - The Ultimate 5 Keys Collection by The Five Keys on Apple  Music

ファイブ・キーズは1955年にノベルティ・ソングのリング・ティング・トングLing Ting Tongでスタートしたが、タイトルのキャラクターには人種差別の演出があり、チャイナタウンに住み、アイ・ア・スモカム・ブーアイアイ・アイ・ア・スモカム・ブーEye a smokum boo-eye-ay, eye a smokum booという歌を歌っていた。

The Five Keys - Ling, Ting, Tong / I'm Alone (1954, Vinyl) | Discogs

中国系アメリカ人はこのレコードを買わなかったようだが、他の人たちはたくさん買って、ポップ・チャートでトップ・テン近くまで行った。ところが、ポップで実際にトップ・テンになったボーカル・グループのレコードを誰も予測していなかった、ペンギンズPenguinsのアース・エンジェルEarth Angelだった。

Earth Angel - Wikipedia

粗削りで一見コピーできそうもなかったが、クリュー・カッツCrew-Cutsが、落ち着いた感じのバージョンでで飛び付き、ペンギンズの後を追ってチャートを上下した。

The Crew-Cuts* - Earth Angel (1955, Vinyl) | DiscogsEarth Angel (will you be mine) - Song - Featuring Les Baxter & The Crew Cuts  only £9.00

しかしペンギンズはジュークボックス・チャートではずっと良く、これはたぶんティーネージャ―が本当に聞きたいものをよく反映しているからだろう。このことに気づいたシカゴのマーキュリー・レコードMercury Recordsは、ペンギンズのマネージャーでバンドのアレンジをしながらぶらぶらしていた、バック・ラムBuck Ramという男のところに行き、ペンギンズとの契約をお願いした。

Mercury レーベル | リリース | Discogs

ラムは承諾したが、自分がマネージしている別のグループ、プラターズthe Plattersも一緒にすることを条件とした。

Amazon | 20th Century Masters: The Best Of The Platters (Millennium  Collection) | The Platters | R&B | 音楽

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